自由には責任が伴い,民主主義には教育とコストがかかる

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「マッカーサーの子供たち」が動かす日本の行く末=自由と権利「だけ」を教え込まれると...

本日の,「そういう見方もあるのか.」の記事.記事中の「ボストンタクシー運転手」の件の真偽はおいておくとして,その言わんとするところは,戦中の海軍兵学校校長を務めた井上成美の「私は,ソルジャーを作るのではなく,ジェントルマンを作ることを意図した.英国の歴史をみてもわかるとおり,ジェントルマンは戦場でも立派に戦うのだ.」という考えに通じるところがある.方向は真逆だが.

少なくとも,我々日本人が曲がりなりにも自由と民主主義を享受することができるのは,日本国が主権を保持していること,また,日本国には「その方がトータルとして効率的」であるからに過ぎない.
# 脱線するが,この点で「自由と民主主義を世界に広める」ことを使命とする某国の国家目的は誤っていると考える.

すなわち,等しく教育を受け,主権を保持することの必要性を認識し,自由と責任が不可分であることを「我々が認識している」,という大前提があるから成り立っている.
その点では,戦後民主主義教育は一定の成果を生み出してきたと考える.

残念ながら,そこからこぼれた人たちもいるようだが.ああ,上記の認識は持っているが,様々な情報・経緯を比較評価して判断することができない人たち,が正確か.

えてして議論にならないこの方々,どうしたものか.

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